渋沢栄一と埼玉・群馬の発酵食品

王子の渋沢栄一博物館に昨年行きましたが、今回は、さいたまの生家

そして、携わっていた世界文化遺産の「富岡製紙工場」です。

 

埼玉県深谷にある渋沢栄一博物館。血洗島の出身。

諸説ありました。その一、川が反乱すると地を洗うので血洗島

その二、地が荒れているので血洗島

その三、赤城山の守り神のオオムカデがここで戦いの時、負った傷の

血を洗ったので血洗島。

さて、その原点。すくもを作って、藍染の原料を作るのは、血洗島の特産。

インディゴですね。これに価値があれば、絹でなくこちらが製糸工場。

ちょっとボノボノな感じ・・・渋沢栄一。大阪だったら、五代様。

しかし、埼玉の農家の息子が京都に家出同然で行った時に、徳川慶喜に

拾ってもらうという超ラッキーなことがあり、まるで

アメリカン・ドリームのように出世していきます。

なかんちは、生家ですが、妹家族が住んでいました。

皆さん、優秀。外国人をお呼びするゲストハウスとして使っていました。

藍をつくる過程。すくもは発酵させるといいますが、

何故食べるわけでもないのに発酵というのでしょうか?

私が、黒にんにくを発酵と呼んだら、「熟成だ!」と言い返した東京農大の先生に聞いてみたいです。

青い淵にいるという雅号をいただいた渋沢栄一は、

この号をこよなく愛しました。

ランチは、富岡製紙工場前の「峠の釜めし」懐かしいですね。

昔は、軽井沢に行く時には必ず「横川」で駅弁を買いました。

益子焼の中にお弁当が入っています。

日本一古い「駅弁屋」だそうです。

古い駅弁は、横浜の崎陽軒かな?

富岡製紙工場の前に、カイコのチョコレート。ちょっと気持ち悪かったです。

同じく赤レンガの工場も深谷にあったそうです。東京駅やこの富岡製糸工場で使われました。

作りは全くのフランス式、レンガの積み方に至るまで。

 

フランスの先生が泊まっていた寄宿舎。風通しがいいのだそう。

最近まで使われていた織機。ニッサン製。おお!車の会社はみんな

元は織機の会社なんですね。

木造で、コロニアル。診療所もありました。ここは、近代化の象徴ですが、

同じことをやっているのに、何故「野麦峠」は少女哀史なのでしょう。

サナトリウム化した診療所でおなくなりになった女工もいたようです。

二階の様子。蛹をここで保管していました。これから注目したい虫という食材。女工がお腹が空いたら、食べていたそうです。

ところで、虫の仕事にしている方々にお会いしました。今、発酵の世界でも牛の変わりに虫を食べるとタンパク質が三倍でいいと言われています。

 

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